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「廊下にあふれる患者」と「世界最高水準の医療」の奇妙な同居!? インドの病院が突きつける日本の皆保険制度の「真の価値」
■JUN’s letter
「医療レベルの低い国」という誤解
インドの公立病院を訪れると、廊下まで患者やその家族であふれ返り、多くの人が床に横たわっている光景にショックを受けるかもしれません。しかし、インドは決して医療レベルの低い国ではありません。年間約2万件にのぼる世界第3位の臓器移植実績を持ち、陽子線治療や自国開発のCAR-T細胞療法まで実用化している、世界最高水準の高度医療国でもあります。
この衛生的に見えない病院の廊下に溢れる患者たちが示しているのは、技術の遅れではありません。高度な医療を提供する能力が国内にあるにもかかわらず、そこへアクセスできない人があまりにもたくさんいるという、経済的なアクセスの障壁なのです。
所得によって選別される「命のインフラ」
インドでは、所得の有無によって選択できる医療が極めて残酷に分断されています。低所得層を支える公立病院の入院自己負担額は中央値で1100ルピー(約1800円)と低いものの、限られた医療資源に患者が殺到するため、混雑や深刻な病床不足に悩まされています。
一方で、世界水準の高度な民間病院に入院すると、自己負担額は平均で公立病院の約7.6倍にも跳ね上がります。十分な保険のない家庭が一度大きな病気にかかれば、医療費によって家計が破綻し、そのまま貧困状態に転落してしまう「破綻的医療費支出」が大きな社会問題となっています。世界一の医療技術が存在することと、それを国民が享受できることは、全く別問題です。
社会保険料引き下げに隠された「負担のすり替え」
日本でも現在、急速な高齢化や現役世代の負担増を背景に、医療制度の効率化や社会保険料の抑制について議論が進められています。しかし、ここで多くの人が見落としがちなのは、社会保険料を下げることと、国民全体の医療費負担を減らすことは同じではないという点です。
公的保険のカバー範囲を削れば、本来社会全体で支えていた医療費が、ただ「病気になった個人」の自己負担や民間保険の支払いに移るだけです。医療に必要なお金の総量が消えてなくなるわけではありません。
日本の皆保険が守ってきた「本当の価値」
日本の国民皆保険制度が持つ本当の価値は、単に「医療費が安い」ということではありません。何よりずばらしいのは、その人の「支払い能力」と「必要な医療へのアクセス」をできるだけ切り離してきたことです。普通の所得の人ががんになっても高度な治療を受けられ、高額療養費制度によって家計の破綻を防ぐ。このセーフティネットこそが、わたしたちが日常的に享受している「当たり前の安心」の本質です。
もちろん、このまま無制限に仕組みを維持できるわけではなく、医療の効率化や在宅シフト、予防医療への投資は不可欠です。だからこそ、今後の改革においては、単に「いくら公的医療費を削ったか」を成果にするのではなく、無駄を徹底して省く「効率化」と、必要な人へ医療を届ける「再分配」の議論をしっかりと区別することが重要になります。
高度な医療を誰に、どのように届けるのか。インドの病院に映る景色は、遠い国の課題ではなく、これからの日本がまさに選択しなければならない未来の姿そのものなのです。
参照元URL:
https://www.facebook.com/junsasakimd/posts/pfbid02kGGvi1rr9WCyHFZzWcwLwv4ncmys5KaMgAyhVMnSJG45jeNLTNXYYWBA1eb239FZl
