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「困難事例」、誰にとっての困難なのか?/佐々木淳(医療法人社団悠翔会 理事長)
■在宅医療の究み
「困難事例です。」
そんな事前情報とともにご紹介いただくケースがあります。
家族が現在の病状を理解してくれない、専門職の指示に素直に従ってくれない、だから最適な医療やケアを提供できない、そんな患者さんやご家族が時にそのように分類されることがあります。
僕は「難しい人たち」という先入観を持たずに関わるように意識しています。
誰しも不都合な真実は直視したくないもの。
受け入れたくない現実を突きつけられた時、最初に起こる心的反応は「拒絶」です。与えられた情報の中から都合のよい部分をつなぎ合わせ、新しい解釈を作り出すこともあります。しかし、これらは受容のプロセスとしてよく知られているものです。
選べない、選びたくない、強要されたくない。
この選択肢の中からどれか1つを選べと言われたとき、どれもしっくり来ない、こんな選択肢しかないなら頼まなければよかった、私たちもそう思うことがありますよね。他の選択肢という前提で一方的にケアが進められることに対する違和感は、特に終末期に向かって選択肢が限られていく中で、より強くなっていくはずです。
困難事例と言われる人たちは、自分たちのいまの気持ちに素直な人たち。
逆に言えば、違和感を抱えながらも医療者に従順な「普通の患者さんやご家族」よりも、真のニーズにタッチしやすい人たちであるとも思います。「正しさの強要」ではなく、その人たちの苦悩への心からの関心を示すこと。それだけでケアの歯車は回り始めます。
大切なのは、一度きりの人生、制限がある中においても納得のできる選択を重ねていきたいという患者さん・ご家族の思いに伴走していくこと。「これからの見通しを正しく共有する」、「医学的に最も妥当な選択肢を選べるように支援する」ことではありません。
経過の見通しを受け入れられないのであれば、これから何が起こるのかは誰にもわからない、一緒に進んでみましょう、そう提案してあげてもいいかもしれません。
統計的に妥当な選択がその人にとっての最善であるとは限りません。それぞれの価値観や優先順位に基づいて、もっとも納得できる(妥協できる)選択は何なのか、新しい選択肢の創出も含めて、一緒に悩みましょう、そんな提案に安心される方もおられるかもしれません。
「正しさ」の定義は人によって異なります。
そして何が正解なのか(正解だったのか)は誰にもわかりません。
それをともに探すプロセスこそが、在宅医療の大切な役割の一つなのだと思います。
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佐々木淳(医療法人社団悠翔会 理事長)