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<となりのゆうとくん>患者さんの社会的背景から志向性を理解し、“納得できる医療”を提供/鳥越桂(くくるホームケアクリニック南風原 院長)

鳥越 桂(くくるホームケアクリニック南風原 院長)

 

ーー悠翔会への入職までについて教えてください。
都内の病院での臨床研修などを経て、麻酔と緩和ケアの両方に取り組みたいと、国立がん研究センター東病院の麻酔科に入職しました。しかし、同院は手術麻酔の需要が多く、手術室にこもりきりになる日が続きました。実は、その前の勤務先にいた時代から、週末のアルバイトとして訪問診療を行っていたのですが、緩和ケアも含め現場で患者さんとかかわりたいと考え、在宅医療を行う法人へと転職しました。その後、悠翔会の理念に惹かれ、2018年に入職しています。

 

ーー在宅医療の特徴はどのようなところにあるのでしょうか?
例えば、病院の外来診療では、患者さんの生活状況や実際の服薬状況がみえないときもあります。成育環境や教育水準、家族関係、家計状況などが密接に絡み合ってさまざまな心情を抱き、人は行動に移すのです。在宅医療では、既存の医療システムとつながりにくい患者さんにも、こちらから近づいていきます。その中で重要なのは、社会的背景を知ることであり、それが患者さんの志向性の理解にもつながると考えます。患者さんも納得できる医療をどのように提供していくかという課題と誠実に向き合える環境が、悠翔会にはあると思っています。

 

在宅医療と前職の麻酔科ではあまり共通点はないのではないか、と思われるかもしれませんが、そうでもありません。今でも前職の病院で緊急手術の麻酔をかける機会がありますが、静脈から投与する麻酔薬や麻薬、循環作動薬は、ひとたび投与されると薬剤の作用が弱まるまで効果が続く、ある意味後戻りできない“代物”です。今もこのような意識づけの延長線上で患者さんを診ている感覚があります。全身麻酔では数分で得られる結果を、在宅医療では薬の性質によって日単位から短い月単位でみています。そのスパンが違うだけなのです。本当にこの薬を処方していいのか、もっといい選択はないのかと常に自問自答しています。

 

 

ーー入職後、都内や埼玉の拠点で勤務し、現在は沖縄の拠点で院長を務めています。クリニックが位置する土地により、それぞれ地域性が異なると思いますが、現在、特に気をつけていることはありますか?

クリニックのある沖縄本島南部は沖縄戦で著しい戦禍を被った地域であり、患者さんにも沖縄戦の経験者が数多くいらっしゃいます。訪問時、仏間できちんと額装された沖縄戦の戦没者への記章を目にすることもあります。政治的な信条の如何にかかわらず、現役世代の人々は、沖縄戦やその後の苦難に満ちた復興を経験した方たちを大切に思いやる。そういった光景は、本島南部の診療でよく見られます。私の場合、東京や埼玉であっても、診察中、戦前戦中の話に及ぶことがあります。その際には予断を交えずお話をうかがうようにしています。

 

学生の頃から、良質なコミュニケーションには方言が重要だと直感的に思っていました。医療における方言の有用性を検討した研究もあるくらいです。関西や中四国であれば、出身地である鳥取の方言と音韻が類似しているところもありそうですが、沖縄となると勝手が違い、本物の「しまくとぅば」は難しい。がんばって「うちなーやまとぐち(沖縄の伝統的な言葉と、標準語や九州の方言などが混じった言葉)」で話そうとしますが、沖縄出身のスタッフからは全然違うと言われています(笑)。方言はコミュニケーションの本質とはややずれる視点かもしれませんが、今後も重視していきたいと思っています。

 

沖縄への赴任前はプレイヤーとしての立場から物事を考えがちでしたが、赴任後はクリニックのチームのパフォーマンスが最大化できるようなマネジメントを心掛けるようにしています。まず、法人の掲げる理念を大切にするということ。クリニックに所属する一人ひとりが理念の実現に向けたイニシアチブを自ら考えて、クリニックの内外で創意工夫を図るよう努めています。また、日々のワークライフバランスに留意しつつも、”人生”を軸としたワークインライフの意識を高め、自己肯定感を向上させて自己実現を志向することも大切だと思っています。

 

結果として、クリニックの人的基盤が強固になり、南西エリアの与論(パナウル診療所)や石垣(とぅもーる診療所)で不測の事態が生じた場合でも、臨機応変に協働できる体制が構築されつつあります。

 

現在は半ば単身赴任のような生活ですが、家族が住む関東に帰ったときは、月に1日だけ、日雇い労働者が多く住む、簡易宿所が密集した地域でのボランティア診療も行っています。

 

ーー診療の際に大切していることを教えてください。
在宅医療の対象になる患者さんやそのご家族は、日々の細やかな変化に敏感です。目の前で起こっていることを考えるだけで精一杯という方はたくさんいます。ただ、医療者の側では数週間後、数ヵ月後、数年後を予測していたりもします。タイミングをみて、患者さん・ご家族と医療者の認識を合わせていくことも、よくあります。お互いが対峙するのではなく、同じ方向をみながら伴走することが大切です。老衰が進行していても、末期がんで余命幾ばくもなかろうとも、本質的に人は何かに希望を持ち続けるものです。昨日よりも今日、今日よりも明日、よりよい状態を保てるよう、医療者の側も日々腐心すべきだと思っています。

 

ただ、過剰な医療は厳に慎まなければなりません。要は平衡感覚であり、患者さんを中心にして、取り囲む家族や療養先の施設、訪問看護師などにとっても、無理のない調和のとれた医療を提供することが大切だと考えています。

 

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